私のラジオ製作発展史 その2


3.真空管式ラジオ〜オートダイン編・・・部品は工夫して

 鉱石ラジオではヘッドフォンがあまりにもウットウシイので、何とかスピーカを鳴らしたいと半年たらずで真空管式に移りました。 近くの電気屋・・・今日ならば家電店に相当ですが、まだ冷蔵庫、洗濯機、トースターは一般化以前の時代、懐中電灯、電池、電球、照明機具、電熱器、アイロン、生まれたばかりの電気釜、それに主力商品であるラジオ受信機と真空管その他補修部品を売っている店だったのです・・・で、まずは UY76 一本を求めました。 当時は電気屋のオヤジも自作販売や修理をしていたから、部品を買いにいくと色々教えてくれたし、数年後にはナマイキにもこちらから教えたりの情報交換をした、ノンビリした時代だったのです。
 真空管式に着手するにしても、何もない所からの立ち上げでは、あれこれ工夫が必要でした。 パワートランスの購入費用はテスターに流用し、ヒーター電源は模型鉄道モーター用の 2V ピッチ max 20V の可変電圧トランスを利用し、B 電源は AC の極性をネオン管でチェックしながら直接セレンにて半波整流し 140V を得、UY76 単球の再生検波受信機(0-V-0 構成のオートダイン)をデッチあげました。 初めての真空管式ラジオでトランスレスとは大胆ですが、実はすでに鉱石ラジオ時代に AC ラインのお世話になっていたので全く平気でした。
 このラジオは、鉱石ラジオに使っていたヘッドフォンを耳から外しても十分放送内容が聞き取れる程のゲインがあり、またマグネティック・スピーカを「囁く」程度に鳴らしました。 このスピーカの構造は、ダイナミック・スピーカ=現在の可動ヴォイス・コイル〜コーン一体型ではなく、馬蹄形磁石の磁界の中に仕組んだ導磁体ポール・ピースをヴォイス・コイルに流す信号電流にて駆動し、その振動をカンチレバーでコーン紙に機械的に伝達する形式の普及型です。 またこのヴォイス・コイルにはプレート電流を直接流すため、焼けて断線する場合があので交換でき、またポール・ピースがプレート電流によって偏心の度合が異なるためスピーカによってはセンター維持調整ネジがあったように記憶しています。

 再生検波式のコイルの自作では、再生検波の帰還率とか検波管の印加電圧とゲインの関係とか、L/C 比と発振条件とか、いろいろ経験的にハウツーを習得しました。 また市販の並四コイルでは再生コイルの巻き数が多すぎて、多極管の再生検波の場合、バリコンを抜いた高い周波数ではギャーと異常発振するので、私は再生コイルを解いてすませましたが、そうしないとアッチコッチに抵抗を挿入するなど調整に手間取りました。 大抵の人はこの辺りでバンザイしたようです。
 UY76 単球の成功に勢いを得て、高校入試受験勉強の合間に親に見つからないように深夜工作にて UZ6C6-UY76-UY76 の並四マイナス1(0-V-2 構成のオートダイン)にグレード・アップしてスピーカを十分鳴らせるようにしました。 ヒーターは直列接続、電源は可変トランスを18V に設定しました。
 後に入手した中古パワートランスは年代ものの旧式並四 227-226-112A-112B 用で、晴れて KX12F の半波整流による B 電源となり、しかも電源部は別組みでした。 このトランスを利用して 226-112A の 1.5V+5V で 6.3V を代用したり、227-112A の 2.5Vの中点+5V で 6.3V、2.5V+5V+5V の直列にて12.6V 代用など色々工夫して活用したのですが、とうとう面倒になりコアを抜き、ほどきながらカウントし換算してヒーター巻き線を 6.3V2A x2 に巻き直しました。

 この頃、中波の民間放送が各地にて開始され、家の高一ラジオにて初開局した名古屋の民放局 JOAR を聴きました。 放送の途中に入るコマーシャルが新鮮であり、かつ煩く違和感を感じたものでした。
 当時のラジオ雑誌上には10社以上存在したセット・メーカによる民放局対応の五球スーパー受信機の紹介記事、旧型機の感度および選択度向上を目標としたスーパーへの改造記事、実用化が始まったミニチュア管の紹介記事、それに短波受信機の記事、オーディオの記事などで大変賑やかでした。

 高校に入学した頃、例の電気屋から旧軍の遺物である Hシリーズの RH-4 やソラなど一般のラジオ受信機には使えない球を入手し、また稀には秋葉原に行き、ジャンク屋を回って、五球スーパーには使わないため遥かに安く入手できる米国製 12V メタル管や国産軍球、同珍球を漁ったりしました。
 丁度、白黒の TV 放送が開始された頃の事でした。 またオープン・リールのテープレコーダが出始め、短波には初の民間局の日本短波放送が誕生し、セット・メーカ各社ともこぞって五球スーパーに短波帯を附加した時代でした。

 前記の 0-V-2 は UY39A-UY36A-UY76-UY76 の 1-V-2 に発展していました。 ワザワザ四極管の UY36A を再生検波に使った理由は、五極管に比べてボディーエフェクトがなく、どちらかといえば粗製乱造の UZ6C6 よりも雑音も少なく、再生発振が非常にソフトだったからです。 このボディーエフェクトの原因は後に突き止めて、再生検波に五極管を使うようになりましたが。
 当然、中波以外に短波帯も受信するためブラグイン・コイルを作りました。 密着巻きコイルのブラグイン化には、不良 ST 管のベースを外して25mm ベーク・ボビンを差し込んでビス止めし、スペース巻きするにはギザギサ付きの既製品を使いました。 再生検波では安定度も然ることながら、フワッとスムースに発振を開始するようにタップ等を調整するのが使いやすさのキメ手でした。 この頃にはノモグラフを参照しなくても、コイルの直径と巻き数、巻き幅からかなり正確にインダクタンスを推定できるようにり、その後コイルは自作するものと決めました。
 ところで、その頃は自作のラジオ受信機では何を聴いたのでしょう?・・・実は結構音楽が好きだったので、中波帯の NHK2 では野球中継が雨で流れると専ら埋めるクラシック・タイムを幅広く聴き、民放では早川晋平と藤沢嵐子のオルケスタ・ティピカ東京にとどまらず、彼のアストール・ピアソラも含めいくつもあった現地オルケスタ、ユパンキなど周辺のフォルクローレも入れ込んで、タンゴを中心に南米エスニック音楽を聴いていたのです。 短波帯では海外放送受信よりもアマチュア・バンド、それも DX (遠距離) を中心に電信のワッチでしたが、時々思い出したように放送バンドもかき回し、早朝の 25m バンドで地球の裏ヴェノスから直接のタンゴも度々聴きました。

 その後、試作〜分解、改良を重ねた私の RH2-RH4-ソラ(三結)-12AH7GT パラ構成による短波用 1-V-2 受信機では、最終的にメイン VC〜スプレッドVC ともに多連型にして、スーパー並の操作性を確保し、実戦に耐えるレベルを獲得しました。 この受信機では SWL に励み14MHz のハムバンドの CW(電信)100カントリーをワッチしました。 ついでに MO-PA 構成の小電力電信送信機を試作したりしてハム局を開局しようと企画しました。

 と言うことで、私が単なる中波ラジオ受信機の試作で終始しなかった経緯は鉱石ラジオで受信した海外短波放送からのショックにあるようです。
 そうこうするうちに、受験勉強に押し流されて遊んでいられなくなり、ラジオいじり一切を中断しました。 

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