その後通信系の学校に進みました。 その関係で、送信機の製作は一応御法度になりました。 勿論正式の免許を持っていれば問題はないのですが・・・。 それで長い通学時間をものともせず、通過地点である秋葉原には繁く出入りして受信機作りに精を出しました。
電池管のイアフォン式ポータブル三球スーパーラジオ、SF 管 (25mA) の 1R5-1T4-1U5 構成を「研究用」と理屈をつけて購入し、通学の往復時間では電車内で聴きながらの予習復習、この受信機は電池代が掛かって参りました。 当時はポータブル式もイアフォン式も珍しく、足でモールス送信の練習でもしようものなら周囲の乗客が「もしかして、こいつはスパイでは?」の表情で愉快でした。
そのころ私が試作した最初のスーパー受信機は GT/メタル管を使って BFO(電信用ビート発振回路)を追加した日本短波放送対応の2バンド五球スーパーでした。 判ってはいたのですが、中波と日本短波放送の受信では全く問題なくても、ハムバンドの CW 受信は1-V-2 に比べて殆ど使い物にならならず、 BFO を外し既製品のキャビネットに入れ、普通の五球スーパーとして友達の所に「お嫁入り」しました。
市販のラジオ受信機は五球スーパー一色、しかしメーカー製のラジオ受信機は結構な値段、アマチュアが部品収集して組んだ廉価版のラジオ受信機やコンソール型電蓄も次から次へと受注・製造できた時代でした。 私もアルバイトの一環として五球スーパー等の受注製造、それに新型セット旧型セットともに修理・改造も引き受けて経験を積みながら、かなりの学資と小遣いを稼がせてもらいました。
選択度向上のためのスーパー化改造では、周波数変換のあと中間周波増幅なしの複同調回路を通して、安定な再生検波する四球スーパーを試したり、シャーシ上にスペースがない場合はミニチュア管をシャーシ内に収容し強引にスーパーを構成したりの、半ば実験の場でした。 極端な例では 2.5V 管の 58-57-2A5-80 構成の高一を分解し、パワートランスの 2.5V 巻き線をほぐして 6.3V に巻き直し、整流管のみ流用し、手持ち球の関係で 6A8-6D6-6AV6-42-80 の MT/メタル(GT)/ST 混合五球スーパーへの改造もありました。
その頃、並四/高一を親受信機とする日本短波放送 (3.9/6.0/9.5 MHz) 受信用のコンバータを受注し納入しました。 6BE6-6BA6 の構成にて、ANT/OSC コイルは自作、市販 IFT をほぐしてIF=1500kHz に設定、親受信機のゲインとコンバータのイメージ比を稼ぐ設計としました。
また既製品のギター・アンプが結構高価で、友達に頼まれてスーパーのチューナ付き、TC/マイクアンプ付きの 6V6GT pp ギター・アンプを作ったりしました。 スピーカは Coral の DF805 という 8インチでした。
ある日、長期療養入院の友達の使っていたベッドサイド・ラジオが不調なので見てくれとの要請がありました。 それはアマチュア製の 12AU7 単球 0-V-1 再生検波式でした。 再生式はアマチュアならともかくフツーの人には煩わしいだけ、6BE6-6BA6 による周波数変換段と中間周波増幅段を追加し三球スーパーとして感度、安定度、操作性を飛躍的に上げて納めました。
それが病棟の患者さん達の評判となり、延べ10 台ぐらい次々に受注製造〜改造したこともありました。 とにかくベッドサイドでは長いアンテナは張れないし、何よりも安全性、それに操作性、イアフォン使用前提だから音質調整とハムなど雑音低減対策、他の受信機への妨害防止、コンパクトな構造、となると MT 管三球スーパーが必要最低限でした。
さらにオプションの短波放送受信、スピーカ付きなどのバリエーション、または使用すると出てくる機能・性能の向上要求・・・成長型改造など、小物が多く稼ぎにはならない反面、単なる五球スーパーの製造に終始するのとは異なり大変参考になりました。
その頃はまた、高忠実度再生・・・High Fidelity ..... 日本語ではハイファイの代名詞(一時はステレオが代名詞になり、現在のオーディオと同義です)・・・が LP レコードの普及に平行して流行のキザシが見えた時代でした。 それまでのコンソール型の SP プレイバック兼用ラジオ〜所謂「電気蓄音機・・・電蓄、ウルサイので電畜」から、レコード・プレーヤ、レシーバ、スピーカからなるコンポーネント分離型への移行が始まりました。
私も大いにオーディオに興味があったのですが・・・貧乏学生の身では受信機で精一杯、とても手が回らず UZ42 シングル・アンプに Pioneer の PE-7 (-6/-8 と兄弟のユニットの希少品) をエンクロージャに入れ、ノイズが少なく帯域の広い高一チューナ・・・スーパーよりも高級品?の中波受信による、一応はコンポ構成でカッコウつけて凌いでいました。 家族や友達から「何故おまえのラジオはバラバラなのだ?」「段階的なグレードアップ対応」・・・ますます??。
友達のお兄さんが、留学が終わり大量の LP レコード(まだ縁が平らなモノラルの時代でした)を持ち帰り、私はコンサルタント?よろしく、再生装置の選定など、秋葉原で品定めして入荷後、開梱〜配線インストール〜動作確認〜設置場所設定などを担当しました。 この時にお兄さんが選んだのは、有名メーカの 6BM8 の Push-pull を使ったオール・イン・ワンのセット、私の推薦する後発メーカのバラ・コンポは対象にならず残念でしたが、一般には一体型へのコダワリがまだ強く残っていた時代でした。
NHK1/ 同2 による中波ステレオ実験がしばしば行われ、友達とスピーカ分離型ラジオを持ちよっては聴取実験をしました。 その後、中波チューナが二系統装備しているレシーバ(当時は、チューナ〜EQ プリ〜メインアンプが組み込みのセットを「トライアンプ」とメーカ各社では称していました。)が発売され、暫く続きました。
そのころ丁度トランジスタが出始め、中波帯の1.5MHz 辺りまでが精一杯の性能のグロン型の頃で、珍しいトランジスタ・ラジオは雑音が多く、性能と価格では真空管式には到底かなわなかった時代でした。 それが数年後にはゲルマ・メサ、次いでシリコン・プレーナに移行して、飛躍的な発展が相次ぐ時代となりました。
なお、スーパーヘテロダイン方式の概要などは拙ホームページの「五スの解説と設計」をご参照ください。
二度目の短波用電信受信用スーパー受信機への挑戦では、マルチバンドにて所謂標準的な RF1-IF2 構成にしました。 メタル/GT 管による高周波増幅、ワイド〜ナロー切り替えの可変帯域 IFT (中波も聴くからですが)、RF 部分の製作が容易な「コイルパック」と称するバンドスイッチとコイル一式の assembly モジュール既製品の利用は安易に過ぎると、敢えてバラの既製品コイルと自作コイルを混ぜて実用範囲を考慮した3バンド構成に挑戦しました。
中波帯では高周波増幅が過剰仕様と省きました。 2バンドの短波帯では発振防止措置やトラッキング調整、周波数変換管のノイズを嫌って局部発振管と混合管を分離し、混合管の低ノイズ化に執拗に挑戦しました。 この受信機でも相当の間、自作オートダイン (1-V-2) に比べイマイチだったのですが、電信フィルタ (Q5'er) を装備してやっと優位性を獲得しました。 また高い周波数バンドでは外づけ水晶制御コンバータ併用にはかなわない事を認識しました。
その頃 NHK の FM 試験放送局から電波が発射されました。 勿論 FM チューナは大変高価なので、2C22/7193 とか 6C4 等による RF 増幅なしのスーパーリゼ(超再生)方式受信機とダイポール・アンテナを試作して、受信実験は一応成功しましたが、他に妨害を与えるので長時間の聴取は遠慮しました。
その後 Trio (現 kenwood) から FM チューナ用の 10.7MHz の二段増幅、レシオ検波用の三本組 IFT が発売され、これを購入して 12AT7-6BA6-6BA6-6AL5 の構成にて自作しました。 放送は試験放送局が一局のみ、トリマーの固定同調にてコンテンツ・・・殆どの時間がクラシックのレコード演奏・・・を毎日楽しみました。 但し温度補償や AFC (自動発振周波数制御) がないため、時々調整棒=絶縁ドライバーにて同調のとり直しが必要でしたが。
その頃社会人になり、それまで手の付かなかったオーディオのキャッチアップを始めました。 小遣いを相当つぎ込んでモノラルからステレオに拡張した自作の 6F6GT(UL)pp +6GA4pp のアンパランスなアンプ、自作 C/R イコライザ+ニートVS1000 (=サテン M5-45G)/グレース G-440/ CEC FR245A のプレーヤ、75 リットルの大型バスレフ箱にいれた PW20A に PT4 を追加した 2way スピーカにて、時代の先端である MJQ やら ソニーロリンズ等のモダン・ジャズや、バロックではヘルムート・バルヒャーによるバッハの半音階的幻想曲とフーガなどの LP を回し、FM ソースもしばしば聴きました。
のちに FM 局が増え、高周波増幅〜周波数変換部分のモジュールと IFT を含むキットも発売されましたが、それを採用せず、前記の自作 FM チューナのトリマーを FM 用バリコンに換装して暫く対応しました。 その後真空管式 FM チューナ付きのモノラル・レシーバ(前記のトライアンプです)が各社から多機種が発売され、入手して自作 FM チューナはバックアップ用としました。 FM ステレオ放送開始時にも、ステレオ対応のチューナを入手せずに 6U8A 単球式の Multiplex adaptor を購入しレシーバに外づけして暫く凌ぎました。
この段階あたりから仕事が多忙となり、所帯を持ち、何回か引っ越したりで、私のラジオ受信機製作〜ハム開局準備〜オーディオ活動は、しばらく全面休止もやむなしとなったのでした。
2002/01/31 宇多 弘
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