私のラジオ製作発展史

2002/01/31  宇多 弘


1.ラジオ受信機・・・家族的設備からパーソナル化への歴史

 第二次大戦前の昭和初期に、標準放送帯=中波のラジオ受信機が一般家庭に普及した時代から、大戦後の1950年代までは、ラジオ受信機が家族団欒の中心的存在であり、以後1960年代に掛けてテレビ受像機に首位の座を明け渡し、その後いずれもパーソナル化の歴史をたどった事は皆様ご存じの通りです。
 私の家にあったラジオ受信機は、オヤジが奮発して購入した早川金属(現シャープ)製の高一ラジオ兼用電蓄でした。 昭和14年 (1940年) 頃の製造にて UY24B 高周波増幅、UY24B 再生式グリッド検波、UZ2A5 電力増幅、KX80 全波整流の構成、微電界信号も受信可能な設計で、夜間になると国内各地の NHK 局が受信できました。
 キャビネットの上蓋を開けるとターンテーブルとピックアップ・アームが現われる勿論 SP 専用の針交換式、誘導モーターに 50Hz/60Hz 回転速度制御は何とガバナー制御でした。 二つの同調コイルはシャーシ上の茶筒様のケースに収容されていました。 電源トランスのカバー上にフューズホルダーが乗っていました。
 スピーカはフィールド・コイルによるダイナミック型で、出力トランス二次側に挿入するハムパッキング・コイル付き、コーン紙は現代のエクスポンネンシャルの逆のお椀状、おそらく機械式の SP プレーヤの音質に似せて調整したと思われる高音を抑えた設計でした。 

 私は、子供の頃から DX (遠距離) 受信用として自分用のラジオ・・・パーソナル・ラジオが欲しくて入手機会を狙っていたのですが、とても手におえる価格ではありませんでした。 既製品ラジオ受信機は新卒初任給以上、古道具屋でも相当な価格。 そこでとりあえず鉱石ラジオに手を出した訳ですが・・・
 以下、ラジオ受信機の入手手段として自作に弾みがつき、受注生産にも手を付け、ハムやオーディオに手を伸ばそうとした、全くの個人的な「私のラジオ製作発展史」の一部をご披露しましょう。

2.鉱石ラジオ編・・・結構大胆に

 私が最初にラジオを作ったのは中学に入ってからでした。 今日びの子供たちはもっと早く簡単にゲルマ・ラジオのキットに着手できるので、一見「奥手」みたいですが、私の中学時代はまだ高度成長の前、とにかく大人達が生活するのが精一杯の時代、鉱石ラジオの完成品もキットもなく、パーツを自分で集めるしかない時代でした。
 鉱石ラジオを作るに必要な部品の中で最も高価なのはマグネティック・ヘッドフォン・・・旧軍の放出品、一般にレシーバと称していました。 少し本格的に発音する母親は「リシーヴァ」ん?。 永久磁石に S/N のポールの軟鉄を立て、それにヴォイスコイルを巻き、薄い振動板を駆動するものでした。 その調達には溜めた小遣いでは足りずに、重くてとても持ち上がらない錆び付いたポンコツ発電機を友達から貰い、少しずつ転がしながら暗くなる頃家に辿り着き、数日掛けてタガネとハンマーで分解して巻き線や整流子など銅や砲金に分離して数 Kg にまとめた物を故物商に持って行き換金し、入手しました。 ヘッドフォンに比べてバリコン、鉱石検波器、端子、エナメル線等は大した値段ではありませんでした。
 鉱石ラジオのコイルはスパイダー型と決まっている、というマルデ判っていない人達(今でもそういう人が居ますね)の言うことは無視して、自作した単層ソレノイド・コイルでも中波放送がジャンジャン聞こえて「当り前だよな」と思いました。 アンテナを張るのが面倒でキャパシタ併用の電灯線アンテナを使い、AC の極性と感電の危険性を知りました。
 当然ゲルマ・ダイオードはまだ出現していない時代で、鉱石検波器とは方鉛鉱という鉛の鉱石とスプリングによる接点で構成してあり、その感度を上げるため接点をいろいろ探ってみましたが、変らないか悪くなるだけでした。 またヘッドフォンの感度を上げようと振動板をヤスリで薄くしたりしましたが、ペコンと引っぱるだけで効果はありませんでした。
 雑誌記事の短波オートダインを参考に、試しに巻き数の少ない短波コイルを中波コイルに並列に接続すると、ナント北の大陸の大国からの強力な短波放送が聞こえました。 そのようにして私の BCL/SWL (Broadcast listening/Short wave listening) 活動は鉱石ラジオからスタートしたのでした。  

 この時代にポツポツ五球スーパーが家庭に普及し始めましたが、まだ大半のお宅は旧型の並四/高一でした。 なお、中波放送の歴史概要などは拙ホームページの「並三の解説と設計」をご参照ください。 

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