(142)08/16_03:26
自分の感覚が大切なのです (川本@西東京)
>。知らず知らずのうちに雑誌でいつか読んだ記事から判断していませんか。(記事の内容は忘れても判断だけ取り込んでいたりする事はよくあります)また、先入観に左右されず音を評価する事は果たして可能なのでしょうか。<<
田村さん、みなさん、こんばんは。
音楽を聴いていいなと思うのはまさに自分の感覚です。客観的なものではありません。どんなアンプも最終的に聴き手個人の判断に委ねられます。これが全ての基本だと私は考えます。F特がどんなに狂っていても本人が好ましいと思えばよいのです。本人にとって良いアンプです。(たとえ先入観にとらわれていても)と私は考えています。
それとは別に客観的に判断できるものは大切にしたいと思います。大きな音で聴きたい人にM管のシングルは奨めませんよね。それと同じようにSPの《初期ならし》(エージングというと年を経て味が出ると誤解されるので)を奨めるのです。クルマの慣らしと同じです。SPの慣らしは不要という人が多数ですと客観的とは云えません。グレーゾーン、まさにオカルトになりますよね。
個人的に云いますと何十本もSPの慣らしをやってきましたので私に取っては確定的なことですが・・・
お寺ヘナチョコSP大会で、《初期慣らし》の済んでいないSPが結構ありました。良い音がしそうな力作なのに勿体無いなと感じました。でもこれは私が口を挟むものではありません。
重いアンプやSPを持ち会場に駆けつける参加者の方々。それを評価する機材はやはりそれなりのモノでなければなりません。SPに限ってのお話しをさせて戴ければ《初期慣らし》の終わらないSPはピークが大きく、高域も歪みます(体験です、体験すれば誰でも分かることです)。《初期慣らし》の終了しないSPでアンプの評価を下すのは気の毒のような気がします。
私が言いたいのはそういうことです。机上の空論ほど虚しいものはありません。しっかりと音を聞き分け、体験を重ねれば感覚が磨かれ、一聴瞭然だれでも聴き分けることが可能です。
(143)08/16_07:58
リファレンス、体験、諦め (宇多@茨城)
●・・・皆基準に使っている事象が違う事になります。良いとか、悪いと言うのは・・・
皆が美人と言うから美人・・・本当?。 自信がなければ計測機も一つの方法、しかし万能ではなく捕まえたら白痴美人だったり。 楽器経験者の判定は必ずしも当たらない・・・ナマ音以外は楽譜と同義、ある程度以上はこだわらない?。 ナマと再生に責任とバランス感覚のある録音エンジニアに頼るのが近道かもね。 「追っかけ」でナマ現場に入り浸ったオーディオ等全く関係ない人が、真迫性ある?音を出すアンプを、音は悪くても雰囲気があるとか・・・これはエンジニア級の耳感覚、貴重な存在。 レコード一本では井戸の蛙・・・小さな丸い空しか見えない。 でもナマ現場で訓練すればある程度まではレベルアップ可能、努力あるのみ。 生は音が悪い?・・・当り前だわね・・・でも「火渡り」体験で解毒が必要かもね。
●・・・知らず知らずのうちに雑誌でいつか読んだ記事から判断していませんか。
雑誌情報を信じ利用するのはご自由、しかし自己責任にてね。 とはいえ評価、設計、実験などの「抽象的方法論」は正しい場合もあり、多いに参考に。 対象が多数で追試験も出来ず、疑う余裕もなく、身を任せざるを得ないのが現実。 しかし、可能な限り自分の目と耳と手で追試験を・・・ある程度の自作を・・・しないと部分的にせよ真実には接近できないかも。 私事で恐縮 →→ 頭から信じたら、数10種類の出力管等の動作試験なんてバカバカしくてやりません。 実際にアレコレやって判ったのは、例えば (1)12B4A は SEPP 用で普通の回路は NG、(2) 6Y6G/GT は音が悪い、(3) 水平管は OTL 用なんていう「固定概念的 or 料理法の未熟」から、意図的ではなも結果的には迷惑な誤り情報・・・をリセット、G2 ドライブも噛って見てクセがより明らか、新しい発見・応用が開け・・・。
●・・・また、先入観に左右されず音を評価する事は果たして可能なのでしょうか。
元データが再生音ではつらい。 前記の基準課題が先決 〜前記の「基準事象」がバラケているから収拾が必要、ボテボテ音にビックリ「誰かティッシュペーパーない?」と騒ぎだす人と平然としている人が共存、先入観以前の混沌。 ラッパのパラツキの方がアンプのパラツキよりも大きい。 個人的には、同一ソースによる相対比較どまりかな・・・精々「こっちがマシ」位しか・・・唯一つ楽器の多いものは無理。 本物に近い感じの物に接して思わず震えた事は残念ながら 40ウン年間で 2-3回かな、あとはカンズメを開けて、さーて一体本物の香りはどこに?・・・絶対評価の道のりは険しい。
(144)08/16_10:06
実害もあるのです (川本@西東京)
みなさん、おはようございます。
電源ケーブルのアース側をコンセントのアース側に合わせるというオカルト?常識?があります。親戚の家で変な留守電が入っていて気持ち悪いと言うので聞かせて貰ったところ、やけに悪い音なのでピンと来て電源のプラグを逆に差し替えました。ご主人の声が出てきました。こういうことは日常茶飯事的にあることでメーカーの技術者の責任です。確か15年前位は技術者は理論的にあり得ないと説明していました。
(145)08/16_13:01
それで、初心に帰るには (タムさんす)
レスありがとうございます。
こんな事を書いてしまうと諦めろと言わんばかりです。
さて、川本さんも宇多さんも鍛えればとの事ですが、私は最近逆の事を考えています。鍛えれば鍛えるほどこの場合知識が増えていく事になります。知識が増えると言う事は言語に置き換えて記憶する事で、比較は常に概念との間で行われる事になります。つまり、鍛える事は先入観の増加を招く事となります。
それから、雑誌などの影響ですが出典がはっきりしているのは良いのですが、概念だけ記憶していて元が何だったのか忘れているものが厄介です。このような概念はまるで真実の様に思われる可能性が大です。
(146)08/16_16:20
感じるが華。 (多賀政信 )
娘さん、年増さん、大年増さんの皆さん有り難う御座います。枯化なんという言葉を全身全霊で教えていただき、全身全霊で感じることができました。まだ末は長いですね灰になるまでですから。その時その時がさいこうなんです。
(148)08/16_18:54
オカルト? (上野)
> 電源ケーブルのアース側をコンセントのアース側に合わせるというオカルト?常識?があります。親戚の家で変な留守電が入っていて気持ち悪いと言うので聞かせて貰ったところ、やけに悪い音なのでピンと来て電源のプラグを逆に差し替えました。ご主人の声が出てきました。こういうことは日常茶飯事的にあることでメーカーの技術者の責任です。確か15年前位は技術者は理論的にあり得ないと説明していました。
音が良くなるというのであればオカルトですが、ノイズが入るのは誤動作・設計ミスですからオカルトでは無いのでは・・・ 測定可能ですしね。
(149)08/16_18:57
身体で覚える (川本@西東京)
《感じるが華》ですね。多賀さんのお言葉の通りです。知識を増やすのではなく、体験を増やす。スポーツもそうですが身体で感覚をつかむ。何百回の繰り返し。分からなくなった時、先人の知恵を「知識」として参考にすれば良いと思います。「知識」だけ仕入れて楽をしてはいけませんねぇ。先入観が増えるだけです。